2001年宇宙の旅は本当に「つまらない」のか ── 序盤は面白かった、という個人的な感想

映画

「2001年宇宙の旅」を観た。結論から言えば、序盤の道具の発見からHAL 9000のあたりまでは面白く観ていたが、ラストの光が溢れる場面と老いていく場面、赤子のシーンに来ると意味が取れなくなった。同じように「分からなかった」「つまらなかった」と感じている人がいるはずなので、どこまで乗れて、どこから分からなくなったかを書いておく。


鑑賞環境について ── VR、モニタ、スマホ

VRで途中まで見たが、書きたいことが多すぎて、結局モニタに切り替えた。VRのまま快適にメモが取れれば最高なのだが、Apple Vision Proでもなければ難しい。一方、モニタで見ているとスマホに手が伸びる。マウスでシークバーをなぞればその後の画面まで見えてしまうから、注意が散る。鑑賞環境というのは案外むずかしい問題だ。

序盤のサバンナの場面 ── ここはまだ面白い

最初はサバンナである。地球なのかすら分からない、人間がまだいない地表だ。アニメと違って、映画には必ず「撮影場所」が必要になる。これはどこで撮ったのだろうか、とまず気になる。

骨が転がっている。それで、かつて何かが死んだ場所だと分かる。

肉付きのいい、豚と馬の中間のような動物が出てくる。イノシシの類だろうか。それから、ゴリラのような黒い体毛の猿。これは遠い昔の地球なのか、それとも別の惑星なのか。スタンリー・キューブリックは、なぜ冒頭をイノシシと猿のシーンに割いたのか。ピューマのような肉食獣が猿を襲う。

水の少ない荒涼とした土地で、猿の群れが濁ったオアシスの水を飲んでいる。人間ならまず腹を壊すはずだ。猿の消化機能はどうなっているのだろう。

そこへ別の群れが現れて、縄張り争いになる。

人間とやっていることが変わらない、と思った。オスとメスの区別はつかないが、大きな声を出して縄張りを主張する。孤立した個体は肉食獣にも、同族の別の群れにも襲われる。だから群れる。鳴き声が言語に多様化したあとも、鳴き声そのものが担っていた役割が消えたわけではない。人間も同じことをしている。たとえば毛づくろい的なコミュニケーションがそうだ。

モノリスと骨 ── 道具の発見というアイデア

そこへモノリスが現れる。例の伝記によると、あのマットな黒の質感を塗装で再現し、撮影中それを保つのに、スタッフはずいぶん苦労したらしい。

やがて一匹の猿が、転がっている動物の骨を眺める。手で握って、骨で骨を叩いてみる。道具の発見である。こういう小さな発想の積み重ねで文化は前に進む。

二度目の縄張り争いの場面では、攻め手が骨を握っている。前と同じ群れの、同じ攻守なのかは分からない。とにかく、骨で殴り殺してしまう。

そしてあの有名なシーン。一匹の猿が骨を空高く投げ上げ、骨が頂点に達して落ちはじめる。地面に着く前に、画面は宇宙空間に切り替わる。人工衛星か、それとも船か。

道具の延長線上に宇宙開発がある、と言いたいのだろう。気が遠くなるほど時間を飛ばす編集である。

宇宙のシーンで気になったこと

文明はずいぶん進んでいる。とはいえ、現実の2026年に至っても、民間人の宇宙体験がやっと始まった程度で、映画の描く宇宙時代には程遠い。

それにしても、と思う。なぜこの宇宙空間の建造物はこういう形をしているのだろう。続いて出てくる宇宙船には翼がある。宇宙空間で揚力は要らないはずだが、それでも飛行機に似た形をしている。

機内のペンの先端が赤いのも気になった。血液なのか、赤インクなのか。重力のある機内で、宇宙ではペンはどう挙動するのか。

白い制服にターバンのような帽子をかぶった女性。キャビンアテンダント的な役回りだろう。グリップシューズで床を歩いている。

コックピットでは、モニタが二人のパイロットの間にあり、席は左右に並んでいる。ガンダムのコックピットのように縦に並べないのか、と一瞬思ったが、現実の旅客機もパイロット席は左右に並んでいる。360度のモニタを覆うのでないなら、これで合理的なのかもしれない。

一週間経って思い返す ── 面白かった部分とそうでない部分

ここまで書いてから、見終えて一週間ほど経った。あらためて思う。これは何が面白いのか?

最後のほうの、AIが生成したような色彩がめぐるだけの映像はよく分からなかった。一方で序盤、道具の発明と狩猟の萌芽の場面、宇宙ステーションでの会話の場面、それからHAL 9000に読唇術的に会話を読まれて、自衛のために船員が殺されていくくだりまでは、まだ面白く見ていた。自分が乗っていける範囲はそのあたりまでだったと思う。

腑に落ちなかったシーン ── 船員を反対方向に投げる場面

初代ガンダムでいうボールのような形の小型機が、宇宙空間に投げ出された船員を前足のアームでキャッチする。ここまではいい。だがその直後、HALに船への帰還を拒まれたあと、なぜその回収した船員を、母船とは反対方向に放り出したのか。爆発から守るためかもしれないが、結局、HALを停止させて権限を取り戻し、船の操作方法を学び直しても、その船員はもう回収できない。あの判断が分からない。

1968年の特撮としての驚き、いま観るとどうか

撮影されたのは1968年。CGなど影も形もない時代に、この宇宙を再現してみせた撮影技術は賞賛に値する。ただ、いま観て、当時の観客が抱いたであろう「これはいったいどう撮ったんだ」という驚きを、同じ強度で味わえるかと言われると、やはり厳しい。

モノリスは、この映画が初出なのだろうか。もし発明だとしたら、相当にイカしている。あの形と質感だけで、十分に得体の知れない何かを背負っている。

ラストが分からない ── 光、老い、赤子、モノリス再登場

最後のほうの光が溢れる場面、なぜか登場人物が老いていく場面、モノリスがふたたび現れる場面、赤子が映される場面。ここに来ると、もう意味が取れない。

この分からなさそのものを楽しめ、ということなのだろうか。それが正解なのかもしれないが、自分にはまだ、そう構えて観るだけの度量がない。

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