虐殺には、文法があるということだ。「虐殺器官」 伊藤計劃作 微ネタバレ有

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あなたは監視社会の小説と聞けば、あなたは何の作品を思い浮かべるだろうか?
代表的な作品はジョージオーウェルの1984年だろう。他にも監視社会や発達しきったテクノロジーを題材とした作品は沢山ある。その中でも、今回紹介するのは伊藤計劃によって書かれた「虐殺器官」だ。このSF小説は9.11以降、監視社会が形成された世界を舞台にしている。心の未成熟な軍人と精神的な成長を妨げる技術、殺戮を撒き散らす言語学者、暗殺、張り巡らされた監視の目とそれをかいくぐる者達。まさに世紀末だ。


※1984といえばBooks you pretend to have readと検索すれば必ずそのリストの中に入っている作品だ。私も積読している。できれば英語で読みたい。いつか読む。そのうち読む。ゼッタイ。たぶん。

この本の中で抜き出すなら、この文だ。

「虐殺には、文法があるということだ」

虐殺器官 伊藤計劃作 p216

このセリフは、この小説の中心人物から発せられた。それは、様々な国に虐殺を引き起こしながらも捕まることなく、世界を股に掛けるアメリカ人言語学者だ。この小説は、この言語学者から虐殺は始まり、そして虐殺で終わる。

痛覚マスキング

この本には、痛覚マスキングという技術が出てくる。この技術は、痛覚を感じたという事実だけを伝えて、その中身を感じさせないという技術だ。つまり、痛覚マスキングを施された兵士達は銃弾で片足を吹き飛ばされようと、腹に穴が空こうと、戦闘を継続できる
では、そのような兵士達が戦闘をすれば、どうなるか。その答えは、頭が粉砕されるまで撃ち合い続ける悍ましい闘いだ。

なぜ痛みがあるという事実は知覚できるようにしているのか?

それは、痛覚があることすら無効化してしまうと、出血にも、腕や脚がもげたことに気付かない。そうなると、傷の応急処置をできないし、傷をいちいち視覚や触覚で確認しないといけない。そのため、痛覚そのものだけをマスキングしているらしい。
うろ覚えだが、テラフォーマーズという漫画で痛覚がないために負けた敵キャラが居た筈だ。痛覚は拷問のように苦しみを与える一面もあれば、悪い状況を即座に知らせてくれるというメリットもあるといえる。

虐殺器官のSFらしさ

個人的に、私は、SFには「未来ではこんなことができるかも」と思わせてくれるリアリティを期待している。その点で、虐殺器官は人の感覚を操作するテクノロジーが発達したら、歩兵の戦闘がどうなるのかの一例を見せてくれた。私はこの本の終わり方が好きだ。SFらしいエンディングという訳ではない。ネタバレになるでの深い言及は避けるが、しかし、単に悪い奴を倒して終わり、とはならない。ハッピーエンドではない。アメリカで内戦が起きたりでもすれば、こんな事態になるのかもしれない。

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