導入:殺人鬼 vs 模倣犯という奇妙な幕開け
もし、自分が狙っていた獲物を、自分の殺害方法をそっくり真似た「模倣犯」に先に殺されてしまったとしたら?
殊能将之の『ハサミ男』は、既に二人殺害しているシリアルキラーである主人公が、自身の第三の犠牲者となるはずだった人物の無残な死体を「第一発見者」として見つける、という極めてユニークな導入から幕を開ける。
この「殺人鬼が模倣犯を追う」という倒錯したプロットだけでも一級品だが、本作の真価は、大胆な「叙述トリック」にある。
第一の罠:「ハサミ男」は本当に「男」なのか?
本作最大のトリックは、タイトルにもなっている「ハサミ男」という呼称そのものにある。
作中でマスコミによって名付けられたこの呼び名は、読者に対して「犯人は男性である」という強力な先入観を植え付ける。さらに、物語では男性の容疑者も登場し、我々の疑いをそちらへ誘導する。
だが、これこそが罠だ。
真犯人は、実は女性、安永知夏である。彼女は賢く、美貌にも恵まれている。そんな彼女が、猟奇的な殺人衝動を抱えている。この「美人は疑われにくい」という社会的なバイアスを作者はトリックの装置として利用している。
第二の罠:二人の「わたし」と、二人の「遺体発見者」
本作の巧妙さは、真犯人の性別を隠したことだけにとどまらない。
物語は「わたし」という一人称で語られるが、読者がメインの語り手として追っていく「わたし」は、日高という男性である。彼は自殺願望を抱え、デブで、そして「ハサミ男」の模倣犯として描かれる。読者は当然のように「わたし=日高=ハサミ男(真犯人)」だと誤解するように仕向けられる。
しかし、物語にはもう一人の「わたし」が存在する。それこそが、真犯人である知夏だ。
知夏もまた、日高と同じ現場の「遺体発見者」なのである。
つまり、二人は同じ場所で、別々に遺体を発見している。だが、読者は巧妙な視点の切り替えによって、遺体発見者が「わたし」という一人称で語る同一人物(日高)であるかのように錯覚させられる。どちらも同じような話し方をする為、読者は遺体発見者の「わたし」が一人だと誤認する。
例えば、二人には「太っている」という共通点があるが、日高が「かなりのデブ」であるのに対し、知夏は「美人と評されるレベルのふくよかさ」である。同じ言葉でも指し示す状態が微妙にズレている点や、読み返してこそ気づく仕掛けが満載だ。
結末:知性か、あるいは悪運か
最終的に、真犯人である知夏は捕まらない。
彼女は利発そうで殺したくなりそうな次のターゲットを見つけ、物語は幕を閉じる。この結末は、読者に強烈な印象を残す。
『ハサミ男』は、叙述トリックというミステリの技法を極限まで磨き上げ、読者の常識と先入観を徹底的に弄ぶ。読み終えた時、あなたは「してやられた」という悔しさと興奮を同時に味わうことになるだろう。

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